昭和45年4月
村山英一(むらやまえいいち)先生が、東京芸術大学卒業後すぐ、観音寺一高に赴任されました。先生と観音寺一高吹奏楽部の最初の出会いは、今から約四〇年前の中学三年の時。高知で行われたコンクールに愛媛県から参加していましたが、佐倉先生が指揮をされていた観一の演奏のすばらしさに感動し、それ以来、観一にあこがれ、下宿してでもあの学校に行ってブラスをしたいと思ったそうです。 |
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昭和46年8月
サマーコンサート会場を観音寺市民会館に変更し、演奏曲目も吹奏楽の可能性を追う高度の曲を取り入れて行うようになり、現在に至っています。 |
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昭和47年
全日本吹奏楽コンクール全国大会に5年ぶり3回目の出場、以後、8回、全国大会に出場しました。 |
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昭和56年3月
管打楽器アンサンブル大会全国大会にサクソフォーン5重奏が四国代表として出場し銀賞を受賞。以後、昭和60年に打楽器3重奏、昭和61年に管打7重奏が全国大会に出場し、共に金賞を受賞しました。 |
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昭和56年8月
サマーコンサート20周年記念公演として昼夜2回公演を行いました。 |
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平成元年3月まで、19年もの長い間、吹奏楽部をご指導いただき、輝かしい成績を残しています。 |