昭和41年9月
加藤先生の後、空席になっていた音楽教諭として、川田景俊(かわたかげとし)先生が、観音寺一高へ赴任されました。
また同時に、四月以来、先生不在の間指揮していたOBより吹奏楽部も引き継がれました。 |
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昭和42年
NHK学校音楽コンクールで、バッハの「コラールとフーガ」が県大会、四国大会で最優秀となり、全国大会においても優良校、全国第4位となりました。 |
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昭和43年
「ブラスに入って京都へ行こう」というキャッチ・フレーズによる新入部員の勧誘のもと、活動内容においても豊かな実りを見せた年でありました。全日本吹奏楽コンクールの四国大会では、全審査員から、最高点を獲得、観音寺一高ブラスにとっては
7年ぶり、2回目の全日本吹奏楽コンクール出場となり、その京都大会では、第4位に入賞しました。 |
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昭和44年
第一回香川県管楽器アンサンブル・コンテストにおいて、高校の部、最優秀として香川県教育会長より表彰されました。
初の試みとして、スプリング・コンサートが開催しました。
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スプリング・コンサートは、郡内の小、中学校等を訪問演奏する、演奏旅行形式に形を変え、継続して行っています。 |